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子供の教育。どこまで口出しすべきなのかを考える

雑記

子供のしつけ、進路や習い事、私生活上の悩み、交友関係などなど
親として教育しなければと思いつつ、どこまで口出しするべきなのか悩む人も多いと思う。

かくいう私も、我が子の事とはいえ
あくまでも私的なことに、どこまで口出ししたものかと考えたことがあった。

悩む過程で、なかなか過激めな面白い本との出会いもあった。
そして私なりに考察したところ
経験や教訓は伝える。しかしあくまでも決定は委ねる。
という結論に至った。

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経験や教訓は伝える。

基本的に私は、何事もロジカルに考えるのが好きだ。
感情はまず置いておいて、物事を合理かどうかで考えるように努力している。
それが何事においても正解への近道だと信じている。

その上で
やはり親から子へは、経験や教訓といったものは積極的に伝えた方が良いと思う。

子供は親に似る。

子供は親に似る。これは大前提。

あなたのDNAを基に産まれてきた我が子は、少なからずあなたに似た要素を持つ。
その割合が多いか少ないかは別として、ある面では必ずあなたに共通する部分がある。

容姿にしろ嗜好にしろ思考にしろ、必ず何かしらの共通点があって産まれてくる。
言うならば、あなた自身を設計図として、その情報を基に一人の人間を設計したようなものなのだから。

あなたと同じ過ちを冒す可能性がある

自分に似た性質の人間となると、行動パターンが似通ってくる可能性は自然と高くなる。

性格が似ていれば、似たようなことで失敗をする可能性があるし
容姿が似ていれば、似たようなことで異性トラブルになる可能性がある。
嗜好が似ていれば、似たようなことに依存してしまう可能性がある。

度が過ぎた放任主義はただの放置。

うちは放任主義なんで、という家庭も多いかとは思う。
別に放任主義を悪く言う話ではないのでそこは流すが、それでも親として最低限踏み込むべきラインというものは明確に存在する。

なぜなら、自分と同じ過ちを冒す可能性がある以上
自分と同じような行動パターンを辿り、同じような失敗や無駄なことに時間を費やしてしまう可能性があるからだ。
人生は決して短くないが、その短くない人生がどんなものになるかは
産まれてからたった十数年の短いうちにほとんど決まってしまう。

もちろん、失敗から学ぶことは数多いが
中には一つや二つ、別に経験しなくても良かったような失敗がないだろうか。

あなたの中にも
これはしなくて良かったな、無駄だったな』とか、
これはもっと早くやっていれば人生変わったかもな』というようなことがあるかと思う。
子供が同じ思いをする可能性がある以上、そういった経験や教訓は積極的に伝えていかなければならない。

放任主義も、度が過ぎるとただ放置しているだけになる。
せっかく自分の代で得た教訓や気づきを、子供にちゃんと継承しなければ
子はわざわざ親と同じ過ちを冒し、時間を無駄にすることになるかもしれない。

決定は委ねる。

自分が得た経験や教訓は積極的に伝えるべきだと思うが
それを知った上でどうするかは、やはりあくまでも子供自身に任せた方がいいと思う。

なぜなら、正解や答えまで親が用意してしまうと
それは時代や状況に合わないアドバイスを独善的にやっているだけになってしまう事があるからだ。

時代や環境が違うと、正解も違う。

10年ひと昔、という言葉があるように
世の中は十数年もあれば大きく変化する。

自分たちの知っている正解が、今の子供達の世代では通用しないかもしれない。
親身なアドバイスが、全く役に立たないこともある。

アドバイスと言うと、『〇〇はこうした方がいい』とか
『これは〇〇だ』とか断言したような形になってしまいがちだが

何事も、絶対的な正解はない。
環境や状況に応じて変化する曖昧な正解があるだけだ。

あくまでも自分の経験や教訓を伝えるにとどまって、最後は子供自身に決めさせるのが良いと思う。

あとは、親としてこれから苦労するであろう若い世代のために
なるべく人生をイージーモードにできるような“実戦的な“アドバイスができるように
『学校のお勉強』よりも『上手に生きる方法』を学んでおくことも大切だ。

雑記
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