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運の悪さは改善できる。

雑記

『自分はなんでこんなに運が悪いんだ・・・』と
感じたことはないだろうか。

私はある。
しょっちゅうある。
全ては偶然のはずなのに、どうして自分ばかりがこんな不幸に見舞われるのか
運の悪さを呪った経験がある。

道を歩いていれば、落下してきた鳥のフンを喰らい
株を買えば、翌日に暴落し
木を切れば、偶然にも自分の方向へ倒れてきて怪我をする。

そんな経験ばかりしてきたもので、『運が悪い人って本当に存在するんだ』と思っていた。

しかし、いちど冷静になって考えてみれば
純粋に運が悪くて起こった事』というのは案外少ない様な気がして

それと同時に、これは改善できるんじゃないかと考えたので
似たような悩みを抱える人の参考になればと思って書いてみた。

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原因や改善策を考えなければ、永遠に不幸が続く

まず、最初にここを認識してほしい。

日頃、不幸な出来事に見舞われたとき
『うわー最悪、運わりー』程度にしか意識してなかったら要注意

果たしてそれは、本当に運だけがが悪くて起きたことなんだろうか?

他に何か原因がなかったか、避ける方法が無かったか
しっかり考えなければ、もしかすると
その運の悪さは、あらゆる場面で永遠に続くかもしれない。

運の悪さの大半は自分に原因がある。

いきなり突っ込んだ感じで行くが、自戒の意味も込めて。
いちおう自分なりの根拠があるので、お付き合いいただきたい。

注意力や集中力の欠如が不幸を招く

身の回りで頻繁に起こる、不幸な出来事。
そのほとんどの原因は、実は当の本人にも理由があるパターンがけっこう多い。

例え話にはなるが
もし道を歩いていて、落下する鳥のフンの直撃を喰らった場合

『運が悪かった』で済ませるのではなく
『鳥に気付かずに、わざわざ真下を通って歩いていないだろうか?』と、考え方を変えてみる。

鳥のフンはほぼ真下にしか落ちないのだから
頭上を鳥が飛んでいないか、歩く先の電信柱や電線に鳥が留まっていないか注意して
その真下を避けて歩くように注意していれば、ほぼ100パーセント回避できる。

周囲の人はそれに気付いて注意していたのに、自分だけがボーッと歩いていたということはないだろうか?

そういう風に考えてみると、単に運が悪かっただけと思っていた出来事でも
自分自身の不注意にも原因があることがわかる。

無知と無策は不幸の素

鳥のフンを喰らった話は、私の経験談だ。
他には、数年ぶりに株を買った翌日にいきなり暴落したこともあった。

こちらも何とも間抜けなことで
その時は、何か世界的に大きなニュース発表直前だったとかで
多くの人が、その結果をもって動くべく身構えているようなタイミングだった。
そうとは知らず、偶然そのニュースの直前に株を買っていた。

翌日、ニュースが悪い方向に作用したことで株価は暴落し
その当時は、たった一晩で酷い損失を喰らった。

結果的に大損となったが、これが悪いニュースだったことに関しては完全に運が悪かっただけと言える。
もし良いニュースだったら逆に大儲けになっていた。

しかし、そんな大事なニュース発表の前日に
何も知らず、うかうか仕込んでしまったことに関しては完全に不注意が招いた結果

不幸な出来事は、常に数パーセントの確率で起こりうる。

時には、完全に運が悪いだけの出来事、努力では避けようがない出来事もある。

私の場合、『切った木が偶然こちらに倒れてきたこと』があったがそれに当たる。
どうしようもなく、不可抗力としか言えないことだってある。

しかし問題なのは、『もともと数パーセント程度の不幸が起こる確率』を
無知や不注意によって、自ら『数十パーセントの確率へ引き上げてしまう』行動にある。

『君子危うきに近寄らず』という言葉がある。
優秀な人は、あらゆる危険を察知してそれを避けるように行動する。
だからこそ、不幸な出来事や危険な目に遭うことは少なくなり
その結果いろいろな物事が順調に進み、優秀な人であり続ける。

周囲をよく観察して、起こり得る出来事を想像して
『危険を回避するためにはどうしたら良いか』を考えて行動するようにしていれば
不幸な目に遭う数パーセントの確率は、数パーセントのまま。

不幸と同じように、幸運も誰にでも訪れている。

運悪く、不幸なことに見舞われる可能性』は誰にでもある。
同時に、
運良く幸運が舞い込んでくる可能性』だって、誰にでもある。

では、なぜ不運の方が目立つのか
なんだか幸運の割合が少ないような気がするのはなぜのか。

これは、文字通り『実力』が関係している。

『運も実力のうち』は正しい。

何かラッキーなことが起きたとき。
そんなの運が良いだけだ』と思う人と『運も実力のうち』だと考える人がいる。

この『運も実力のうち』というのは
メチャクチャいい加減な理論のようでいて、実は的を射ているパターンが時折存在する。


偶然にもチャンスや幸運に恵まれた時。
それがチャンスだ幸運だと気づける人と、全く気付けない人がいる。

そこは、身の回りで起きたことをどれほど正しく理解できるかによって差が出る部分。

それこそ、まさに実力が伴っていない場合
せっかく舞い込んできた幸運に気付かず、チャンスを逃すことになる。

実力のある人にこそ良い話がくる

そもそも論だが、
日頃から努力を怠らず、常に意識を高く保っているような人にこそ
『あの人なら』という形で良い話が舞い込んでくるパターンだって、普通に存在する。

これも、実力があったから良い話が舞い込んできたパターン。

他者から見るとただの偶然だったにしても、
日頃から努力をして意識を高く保っていたから舞い込んできた案件で

こういうふうに、努力で幸運を呼び寄せることができる事を知っている人は
運も実力のうち』だと言うことが多い。

まとめ

クドクドと説明が長くなってしまったが

いつも本当にツイていない、ずっと運が悪いと感じている人がいるなら。
同じ思いをしてきた同胞として、気付いたこと学んだことを共有したい。

・幸運なことも不運なことも、実は皆に等しく訪れている。

・無知や不注意、集中力のなさが
『不運なことが起こる可能性』をグンと引き上げ、
同時に、意識の低さが
『幸運が舞い込んでくる可能性』をガッツリ引き下げる。

自分が変わることで、人生は好転する。

全ての出来事には因果関係がある。

理由があって、結果がある。

私は、そう思うようになった事で
不運な出来事に見舞われても、正しく反省して前向きに考えることができるようになった。
その結果、どうにもならない不運にいつまでも悩むような事もなくなった。
無意味に落ち込んで過ごす時間は減ったし、ストレスも少なくなった。

もし考え方が妙な方向にいっていたら、オカルトや怪しい宗教にハマっていたかもしれない。

雑記
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